@baise913

当時中国人が強い日本を相手にどれだけの覚悟もって戦っていたのか、この動画を見て改めて尊敬するように思いました。被害受け続けても、逃げ続けても、降参しない、諦めずに抵抗する。最後に勝利を収める。さすが5000年の時を経ってもなお生き生きしている民族だ。

@沖縄たろー

ありがとうございます!

@ieg2476

非常に詳しくてしかも分かりやすいので有りがたいです。:trophy-yellow-smiling:

@Rodriguez_Kato

先生!2/26の発表で慶應経済受かってました!!!
慶経は配点割合が全体の35%と、早慶の中で最も地歴の配点割合が大きい学部なので、先生のご教授がどれほど自分に役立ったかは計り知れません!

私はこのチャンネルのおかげで慶大プレ日本史は学部内1位、第二回駿台模試は全国4位取ってこれました。
このチャンネル無しに自分の受験は語れません。ただ日本史の成績を上げただけでなく、日本史の成功体験は常に他教科に良い影響を与えてきてくれました。そしてなにより、自分は日本史が大好きになりました。

浪人していた私の人生19年のうち、最も自分の人生に影響を与えてくれたものだと思っています。ありがとうございました。
これからも毎週金曜日を楽しみにしています!

@osarusan4625

函谷関と三峡を超えられない地形的制約が三国志のころから変わってない

@junkaisavoy1020

武昌の古称は江夏、夏口の南西には三国志愛好家にはかなり有名な赤壁がある。歴史的には孫呉の都、南宋の第二大郡、明朝の南方最大都市の一つである。民国時代は上海に次ぐ第2の工業センター、長江中流の中核都市であり、広漢鉄道と京漢鉄道の中枢地帯であり、英米が提供する戦争援助は南西省から中国大陸に入り、武漢省の鉄道と長江輸送が内陸省に送り込まれる。日本軍の当時の優勢は、中国歴史上のすべての「長江中流段の攻撃者」の中で最も大きく、中華民国全体のほぼすべての出海口、全国の90%以上の重要な工業都市、首都である南京を制御していたと言える。陸軍は浙赣鉄道、広漢鉄道をかなり十分に利用して戦略的迂回、南浔鉄道を利用して突破することができ、日本海軍の艦艇と航空機は長江下流の制海権、制空権を完全に制御することができる。。当時の日本軍上層部の予想は、「武漢を攻略し、中国軍の主力を殲滅し、英米援助の交通線を断ち切れば、蒋介石は投降する」というものだった。

@dmp285

歴史上で当たり前に包囲作戦って出てくるけどその下準備から実行まで難しいんだな

@ともん-b1z

この年(昭和13年)の国家予算(一般会計)約35億円、臨時軍事費特別会計約48億円。何をやっているのやら・・・。

@kuwataku1

完結でわかりやすい動画ありがとうございます!
歴史を見ると重慶に逃げられた時点で日本軍に四川方面まで攻めあがる自力が無かったという解答があるので、この時点で中国一撃論は破綻していたと言えそうですね。
提唱者である永田鉄山が生きていたら、この現実を見て臨機応変に方針転換できたのかなとか思うことはあります。

@junkaisavoy1020

同じく長江下流段から長江中流段に侵攻し、1938年の武漢会戦での日本軍の戦略的優勢は、203-208年に黄祖を討伐した孫権と周瑜、1363-1364年に陳友諒を討伐した朱元璋よりはるかに大きい…日本軍の第6師団は長江北部から突破することができ、第106師団は南浔鉄道に沿って急速に推進することができるからだ。その結果、この2つの師団はかえって武漢会戦全体の中で最も多くの死傷者を出した日本軍部隊となった。むしろ日本軍参謀本部に最も突破が難しいとされていた長江江防の実際の表れであり、後の中国国民革命軍の最も批判される場所となった

@格好の標的

防衛線や兵站が伸びて、かつ国内経済も国家総動員で限界状態。
なのに戦闘を止めない辺り、「損失が発生した以上、一定の勝利が発生するまで止められない」という状態だったんだろうな。

@渡辺充-t4g

昔、昭和40年代の前半か1960年代の後半かくらいに、TVで『遊撃戦』という日中戦争の中国戦線で戦う日本兵部隊(と言ってもMAX10人くらい)の戦記ドラマをご覧になった方はいらっしゃいますか?主役は佐藤允(まこと)さんという俳優さんでした。私も小学校低学年で見たという記憶だけはありますが、その頃の戦争映画、戦争ドラマと言ったら、たいがい、日米戦で空母だの0戦だの魚雷とかいう海戦モノが多くて、この『遊撃戦』はちょっと異色の背景だったと感じていました。
 YouTubeで「遊撃戦」と検索してみると、予告編だけでしたが、UPされていました。そうそう、これこれ、でしたね。

@hikagami

中国を攻め続けてもキリがないって東條英機が思わなかったのが不思議

@izumo4283

引くべきときは引くことが大事だとよく分かりました。

@ポイフルアポロ

そりゃ自分達の故郷に侵略者が来たら誰でも抵抗するやんね

@Gigi-dv9uv

敵をなめてたって言うのが一番だよな。
負けるべくして負けた。

@200gb3

和睦すべきだった

@まきろう

東条は事務処理能力は高いけど軍事的才能は無いなあ
管理職なら良いけどトップになるには視野が狭い
石原莞爾が失脚してなければなあ
近衛は家柄だけの優柔不断な人で戦時を任せられる政治家じゃないですね

@1122earth

こんな小さい国から海に渡って戦争するってある意味すごい。

でも、何にも考えずにやってリーダーの命令を聞かずやったのがダメだった。

しかも、日本の中でも二つに分られているからぐちゃぐちゃになってしまうわな。

@だエアグル

うちのおじいちゃんが徐州作戦に参加してたらしい、昔写真見せてもらったのを思い出した😢